婚儀を控えた前夜、ディアーナの私室に訪れたアルムレディンは唐突に問いかけた。
「王子様、という名をどう思いますか?」
「え?」
さりげない様子だが、ディアーナに問いかけるアルムレディンの表情は真剣だった。
それ故に、ディアーナは単純に驚いた。
だが、驚かれる事を予想していたアルムレディンは苦笑いを添えて問い返した。
「そんなに驚くような問い掛けでしたか?」
「いえ、そんな事はないですわ。でも、突然ですもの、ビックリしますわ」
「それは申し訳なかったですね。でも、『姫』に答えて頂きたいんです」
「……『姫』に?」
「ええ。『姫』にとっての『王子様』です」
そう言うアルムレディンにとっては大事なのだとディアーナは直感で理解した。
それ故に、ディアーナはしばし考え込んでから真剣に答えた。
「……そうですわね。物心がつくまでのわたくしにとっては、セイルお兄様でしたわ」
「物心がつくまで?」
と、アルムは問い返した。
ディアーナの物心がつくまでという限定をした答えを、予想出来なかったが故に。
「ええ。『魔界の王子様』に出逢ってからはただ一人だけですわ、アルム」
そうディアーナが応えると、アルムレディンは表情を一変させた。
甘い言葉で応えたディアーナは、アルムレディンの表情が陰る理由がわからなかった。
「……すみません。ちょっと心配だったんです」
「心配?」
「僕はとても理想の王子様と呼ばれるような育ちではなかったですから。貴女と出逢った時と変わっていると言われても仕方がないくらいに」
「もう、そんなコトはないと言っているでしょう! どうして自分を貶めることばかり口にするんですの?」
そうディアーナは、いつものようにアルムレディンを優しく咎める。
ディアーナにとって、アルムレディンは夢にまで望んでいた『王子様』だったのだ。
それは、ディアーナにとって、それは変え難い事実なのだ。
しかし、アルムレディンにとっては、全てを告白できないほど、『過去』が重い物だった。
それ故に、清く育ったディアーナの存在が、己の翳を再確認させるものでもあった。
「それは貴女が眩し過ぎるからですよ」
「わたくしが?」
「僕にとって貴女は、遠い日の懐かしくも可愛い姫君であり、闇を照らす光の女神だった」
「……」
「でも、その想い出が、光が、どうしょうもなく僕を……」
と、まるで懺悔を告げるかのように、アルムレディンは俯いた。
だからディアーナは、小刻みに揺れるアルムレディンを癒すように優しく抱きしめた。
「わたくしが光の女神だと言うなら、貴方は光の王子様ですわ」
そう言われたアルムレディンが俯いていた顔をあげた時、互いの視線が交わった。
そして、アルムレディンは優しい光をたたえたディアーナの瞳に囚われた。
それ故に、アルムは反論する事も出来ず、ただ言葉を促すように問い掛けた。
「え?」
「ダリスの先王の悪政から民を救い、悪化していた近隣諸国との友好を深めた。この功績は、ダリスの民も、近隣の王国からも、後の歴史家からも、そう呼ばれるに相応しい活躍ぶりですわ」
「……姫……」
「アルムがわたくしを光だと言う以上に、アルムの方が光という名に相応しいですわ」
そう言って、穏やかに微笑むディアーナには、いつものお転婆な姫君の面影はない。
だからアルムレディンも『王』としてではない、ただの『男』として応えた。
「本当に姫は優しい方ですね」
「本当のコトを言っているだけですわ」
「いえ、僕も本当のコトを言っているだけです」
「じゃあ、わたくしからお聞きしますわ」
と、ディアーナがいつもの調子で訪ねてきたので、アルムレディンも気軽に問い返した。
「何ですか?」
「アルムにとっての『姫』ですわ。降誕祭の日、アルムは全ての女性が『姫』だとおっしゃっていましたけど?」
「……よく憶えていましたね」
と、アルムレディンは答えるだけで精一杯だった。
ディアーナの意図が理解出来たが故に、不用意な言葉を口にしないよう、慎重になった。
しかし、そんな反応を予想していたディアーナは逃げ道を閉ざす様に率直に問い返した。
「わたくし、あの時のアルムとの会話は諳んじれてよ?」
「僕にとっても忘れられない日ですが……諳んじる事は出来ないですね。姫の美しさが印象に強過ぎて……」
「そんな世辞よりも真実が知りたいですわ、アルム?」
「僕にとっての初恋の姫君はディアーナ、貴女ですよ。でも、僕の選んだ道は……」
また、同じ事を口にするのかと思ったディアーナはすぐに話を切り替えようとした。
「その事はもう……」
「いえ、関係あるのです。恋や愛は初恋だけです。僕に隠し子が現れる事もない。でも、人として、いえ、男としても、最低の暮らしをしていました」
「……」
「この手は血だけではなく、汚濁にも染められているのです。その時の事を知ったら、きっと……」
そこまでアルムレディンに言われたディアーナは、一気に血が逆流するのを実感した。
「きっと、ですって?」
「姫?」
「わたくしが怯え、恐れ、嫌いになるとでも? アルム、わたくしを見縊らないで!」
そう言って、逆上するディアーナを、初めて見たアルムレディンは返す言葉を失った。
そんなアルムレディンの反応は、更にディアーナの怒りと言う火に油を注いだ。
「確かにわたくしは血を流す事も政治も知りませんわ。ですから、アルムから見たら、わたくしは無知で愚かな姫でしょう。でも、アルムを選んだのはわたくしです。例え、ダリスに潜伏をする様になったとしても後悔はしませんわ!」
そう断言するディアーナを、アルムレディンは美しいと思った。
これほどまで愛されている事を実感できた事が嬉しかった。
そして、その事が酷く誇らしいと思ったアルムレディンは、素直な賛辞を口にした。
「……そうですね。貴女を穢す事が出来る者など……」
そうアルムレディンが応える事を予想していたディアーナは遮る様に否定した。
「いますわ」
「え?」
「今、目の前に」
と、ディアーナに言われたアルムレディンは目を見開いた。
それも予想していたディアーナは、真っ直ぐにアルムレディンを見詰めながら告げた。
「わたくしを生かすも殺すのも、アルム、貴方だけですわ。わたくしにとっての唯一であり、ただ一人の運命の人。貴方との未来が無ければ、わたくしはただ『姫』として務めを果たす人生でした。いえ、そうわたくしが決めていました。だから、アルム。貴方が『未来』を選ばなければ、わたくしにもありませんわ」
そこまで言われたアルムレディンは自分だけが過去に囚われ過ぎている事に気付いた。
いや、『過去』という妄執に囚われているのはディアーナへの冒涜だと。
そして、新王としても『過去』ではなく『未来』を模索していくべきだと。
「……そうですね。過去は変えられない。ですが、未来は変えられる。貴女と一緒ならば、どんな逆境も苦難も乗り越えられる」
「ええ。わたくしも頑張りますわ。だって、わたくしはアルムの光の女神なのでしょう?」
「そうですね。僕を光の王子だと言ってくれるのが貴女ならば」
そう言ったアルムレディンは、ディアーナを抱きしめ返した。
そして、そっとディアーナと視線を絡ませた。
そんなアルムレディンの熱い視線に酔ったように、ディアーナは頬を染めた。
「アルム……」
「ディアーナ……」
そう互いの名を口にすると、アルムレディンは己の唇でディアーナの唇に触れた。
はじめは軽く。
だが、次第にくちづけは深さと激しさを増した。
そんな濃厚な時間も、ディアーナの限界によって終わる。
呼吸が難しくなったディアーナから離れたアルムレディンの唇との間に銀糸が流れた。
「……名残惜しいですが、そろそろ部屋に戻ります。明日、神殿でお逢いしましょう」
「……本当に名残惜しいですわ」
と、回復していない呼吸を整えながら、ディアーナは寂しげに答えた。
ディアーナにとっても、アルムレディンとの時間は甘く愛おしいのだ。
しかし、アルムレディンはそんな甘さを感じさせない意味深な笑みで応えた。
「いえ、今夜はゆっくりと休んでください」
「え?」
「明日からは寝る間が惜しくなるくらい、貴女を放すつもりはありませんから」
「ア、アルム?」
「僕は本気ですよ。覚悟して下さい、ディアーナ。僕に愛される覚悟を」
そこまでアルムレディンに言われたディアーナは顔を真っ赤にした。
しかし、アルムレディンへの愛は負けないという思いから、ディアーナも答えを返した。
「……ま、負けませんわ!」
「え?」
「だって、わたくしの方がアルムを愛していますもの!」
「では、明日からが楽しみですね」
そう言うアルムレディンは、先程までの陰りを感じさせない自信に満ちていた。
だからこそ、ディアーナは気圧されまいと必死に虚勢を張った。
「……ええ、アルムこそ覚悟して下さいまし」
「では、おやすみ、姫」
そう言ったアルムレディンは、ディアーナの唇を深く奪った。
先程の余韻がさめていないディアーナはついに陥落した。
己の力では立てなくなったディアーナを、アルムレディンはベッドに横たえた。
「真っ赤な顔も可愛いですよ、姫」
そう言ったアルムレディンは、ディアーナの頬に口づけると部屋から去っていった。
リンゴ以上に真っ赤である事を自覚しているディアーナは戸惑うように呟いた。
「……本当に勝てるのかしら、わたくし」
……何ですかこの糖度!
書き始めた頃はいかに甘くするか、と頭を悩ませていましたが。
追加として書き足した最後が、最後が……ありえない糖度です(当サイト比)
このようなモノですが、アルムの過去告白とディアーナの癒しが書けて楽しかったです。
この二人は王道かつ甘い関係が似合うと思うのですが、こういうシリアスもイケルかと。
というか、二人の再会から結婚までの甘い長編とかが読んでみたいのですが……
自己補完は出来ない己の文章力と時間と体力がない自覚があるので他力本願中です(マテ)