HITO ―ひと― 3

そんな風に一週間が経ちカトルは特効薬を完成させてリリーナの自宅を訪れた。

私室に通されたカトルは、ヒイロとリリーナの仕事をしている様子にカトルは叫んだ。

色気こそ無くとも、あの張り詰めた空気が存在していない二人の雰囲気に。

「こ、こんなお二人なんてヒイロとリリーナさんじゃない! ヒイロは無口で無表情で過激ですが、リリーナさんはもっと過激なお姫様なのですから!!」

その叫びにヒイロは無表情に怒気をはらませ、リリーナは微笑んだ。

「何が言いたい」

「そうですね」

カトルの叫びに居合わせた三人は集まってきた。

部屋の中の様子にデュオは口を閉ざし、五飛は呆れ返っている。

唯一、まともだったトロワがカトルに言った。

「カトル、薬でも完成したのか」

「あ、うん、これで記憶も戻るはずだよ」

そう言ってカトルが薬を差し出したがヒイロは受け取らなかった。

「オレには必要無い」

「ヒイロ?]

とヒイロの言葉にカトルは尋ねた。

一時は記憶を取り戻そうとしたが、いざそれが現実のものとなった時、ヒイロは記憶に対する理由なき不信感を感じたためにそれを拒否した。

「生活の障害にもならない記憶などオレには必要無い」

「し、障害って自分の過去だろ!」

「そうです! 今の自分を存在させてくれる大切なものですよ、ヒイロ」

人との関わりを大切にしてきた二人にはヒイロの言葉は信じられないものだった。

しかし五飛とトロワは違う反応を示した。

「さすがにオレが認めただけはあるな」

「すべてが万事徹底している、ヒイロ・ユイのやる事は」

「そんなこと言ってる場合…もしかして『ヒイロ・ユイ』に妬いているのか」

デュオのいらぬ推測によってテンションは上がっていった。

「え!ヒイロってものそんなこと考えているのかい?」

「くだらん推測などやめろ!」

「そう考えても間違いではないな」

などと勝手に盛り上がる四人を無視してヒイロは部屋から出ていこうとした。

それをリリーナは止めるように声を掛けた。

「どうして記憶を捨ててしまおうとするの、ヒイロ」

リリーナの声にヒイロは振り返ってから言った。

「記憶が大事だと言うのか」

「ええ。未来はつくることは出来ても、過去はつくれませんから、どんなことになっても取り戻したいと思うわ」

微笑みながら言うリリーナの言葉は、ヒイロの心に小さな波紋を起こした。

だから、ヒイロはそれから逃げるように去っていった。

「ヒイロ……」

と一人呟くリリーナをカトルは見て歩み寄って来る。

「リリーナさん、どうか……あれヒイロは?」

「部屋に戻りました」

「……先程は済みません。つい取り乱してしまって」

「いいえ」

いつもの覇気を感じさせぬリリーナの様子にカトルは心配そうに声を掛ける。

「リリーナさん?」

「……私、立候補を取り止めようかしら」

「リリーナさん!」

カトルはリリーナの言葉に大きく目を見開いた。

そんなカトルの様子に沈んで見えたリリーナは笑い出した。

「冗談よ、カトル君」

「リリーナさん……貴女の冗談は笑えません。」

素直に反応するカトル様子にリリーナ笑うのをやめて謝った。

「御免なさい。でも、あのカトル君、明日は早いので……」

「ああ、そうですね。今日はお忙しいところに済みません。明日の演説、頑張ってください」

「有り難う。ところでその薬を預けてもらえないかしら」

そう言われたカトルはしまった小瓶を差し出す。

「いいですよ。では今日のところはこの辺で失礼します」

リリーナは受け取った小瓶をぎゅっと握り締めた。

そして、盛り上がる三人を連れて出て行くカトル達を見ていた。

 

 

 

翌朝ヒイロ目覚めた時、テーブルの上になぜかあの薬があった。

書き置きも無く,それは置いてあった。

ヒイロはそれを無視して支度を始めた。

そして、部屋を出ていこうとしたヒイロは扉を開けることが出来なかった。

暫く黙って扉の前にいたヒイロは振り返ってテーブルの上にある薬の小瓶を見た。

今のヒイロには喪失感というものが無かった。

それで記憶が無くても生きていけると判断していた。

だが……

ヒイロはその薬の入った小瓶をポケットの中に入れた。

なぜ置いたままにしていけなかったのかがヒイロはにわからなかったけれども。

その理由がわかからなくてヒイロは無言のまま朝食を済ませ、リリーナを演説会場まで車で送った。

ヒイロと同じく朝から無言だったリリーナが、演説会場に到着する目前で口を開いた。

「あなたはいつも私の中にいる……でもとてもあなたに会いたくなって、あんな事もしてしまった。そして……そして私はあなたが側にいるだけで普通の少女に戻りたいと思ってしまった……」

「……」

ヒイロはリリーナの言葉に驚いてしまい何も言えなかった。

だが瞳を閉じていたリリーナはそれに気付く事はなかった。

「また、私は逃げようとしていたのかもしれない。でも気付いたからもう一度歩き始めます。だから、ヒイロ……見ていて下さい、私を」

「リリーナ……」

やっとヒイロはその一言だけを口にした。

そのとき会場に到着してその会場の案内をする人間が車のドアを開いた。

車から降りる時、リリーナはヒイロに言った。

「また会えると信じています」

 

 

 

会場を一人歩くヒイロの心をリリーナが最後にいった言葉が占めていた。

『また会えると信じています』

遠く感じる言葉だが、永遠をヒイロに信じさせた。

その矛盾をヒイロは理解出来無かったが、自分のとるべき行動は理解できた。

なぜ自分が薬の入っている小瓶を手にとってしまったのか。

……人は記憶などなくても生きていけるが『ヒイロ・ユイ』は過去がなければ存在しないからだ。

そう思ったヒイロはすぐに薬を飲んだ。

少しずつだが、確かに蘇ってくる過去。

辛い過去といえるかもしれない……でもたった一つの思いと、願いと、生きていく意味。

遠くても険しくても『ヒイロ・ユイ』という人として生きることを選んだのだ、それらを得るために。

全ての記憶を取り戻したヒイロは議堂に集まっていく人々の流れに逆らっていった。

そして、壇上を見下ろせる通路に立った。

そこでリリーナが壇上で演説を始めていた。

それヒイロはただ見つめていた。

永遠の未来を映す瞳を。

理想を信じる強き言葉を紡ぐ唇を。

リリーナは演説を続けていたが、ヒイロはそこからゆっくりと去った。

何も言わずに。

ヒイロはただ歩いた。

明日を受け入れられる強さを手にするために……

ヒイロは歩いていく、自分が選んだ道を。