ホテルに帰ると言ったヒイロは、あの工場跡をまた訪れていた。
そして、与えられていた部屋のベッドにヒイロは横たわっていた。
ガンダムのデータがあった主要区画と違い、ここは余り破壊されていなかった。
ただ、じっと天井を見つめるヒイロの姿は静寂に包まれていたが、心には対極的な激しい葛藤が存在していた。
任務は終了しているから、ヒイロが兵士として存在していく必要は無い。
しかし、ヒイロは終了したという気持ちにはなれなかった。
そして『普通の生活』に対する疑惑も、ヒイロにはあった。
ふと、ヒイロは右手を目の前に掲げた。
ひび割れたガラスの窓から差し込んでくる人工の太陽がその右手を照らした。
照らされた右手は夕陽によって輝いている様に見えた。
だがヒイロには、その光が緋色にしか見えなかった。
そんな感傷にひたっていたヒイロの耳が足音を捕らえ、無意識のうちに身構えた。
そして、この部屋の扉が開かれた時、ヒイロは起き上がってから構えた拳銃を現れた人物に向けた。
しかし、現れた人物の正体を見たヒイロは、無意識のうちに銃口を逸らしてしまった。
現れた人物は、ヒイロが持つ拳銃を気にもとめず、安堵の表情でヒイロの名を口にした。
「ヒイロ」
「リリーナ、なぜここに来た」
自分のコード・ネームを口にするリリーナを見ながら、ヒイロは問い掛けた。
しかしリリーナは、ヒイロの瞳に映る自分の姿が以前と同じように思えたので確認を口にした。
「ヒイロもしかして……」
「オレにかまうな」
「え……?」
「オレはお前を殺そうとした。なのに、なぜオレをかまう」
「ヒイロ……」
ヒイロの様子にリリーナはただ見つめるしか……いや、見守る事にした。
そして、ヒイロはそんなリリーナの様子を気にもせず言った。
「オレはこの手で多くの人間を殺した。奴らは言いたい事、何一つも言えずにただ怯えていた。そして、そんな奴らを服従させ、自分の欲望を満たす事しか考えない奴らの命など安いものだ。そして……そんなやつらを殺してきたオレの命はもっと安い」
そんな言葉を聞いたリリーナは、ヒイロへゆっくりと近づいた。
そして、そんなヒイロの体を、リリーナは優しく抱きしめた。
「あなたはどんな罪を背負ったとしても、守りたかったのでしょう、生まれてきたコロニーの人々を。そして、その人々を苦しめてきた人々に思い知らせたかったのでしょう、その苦しみを。あなたが純粋すぎたから、優しすぎたから、この道しか選べなかった。そんなあなたを、誰が心を掛けずにいられるというの。純粋すぎて、優しすぎて、自分さえ傷付ける事に躊躇しないあなたを。だから私にも分けて下さい。あなたの苦しみを」
そう告げるリリーナの瞳に、何かを見付けたヒイロは心の中の迷いが消えていく様な気がした。
そして同時に『答え』も理解することが出来た。
なぜ、リリーナを守っていたのか……
なぜ、生きようとしていたのか……
それは……感情のままに行動したからだ。
そう思ったヒイロは、心の中の迷いごと、霧の様な不透明な存在が晴れていく様な気がした。
ふとヒイロは、リリーナの髪に触れてからその頬に触れた。
それだけでも、ヒイロの心は晴れた。
そして、ヒイロはリリーナの唇に自分の唇で触れてからすぐに互いの唇を離した。
それから、ヒイロはリリーナの瞳を見つめた。
幼子の様に触れてくるヒイロに対して、リリーナは微笑みながら名を呼んだ。
「ヒイロ」
そう呼ばれたヒイロは全てを思い出した。
失われた全ての記憶を。
それを確かめる様に、ヒイロはリリーナを抱きしめた。
奇跡の様な、運命の様な記憶と、この少女の中にある自分という存在を確かめる様に。
そして、自分の中にある少女の存在を知らせようとした。
少年は少女を求め、少女も少年を求めた。
自分の存在を相手に証明してほしいと、相手の存在を自分の中で感じようと。
ただ互いを求めた。
感情のままに……
工場跡の部屋で眠ってしまったリリーナをヒイロは宿泊先のホテルの部屋に連れていった。
そしてリリーナをベッドに横たわらせてからヒイロはただじっとその顔を見ていた。
だが、ヒイロは何も言わずにこの部屋から去っていこうとした。
だから、ヒイロが扉に近付いた時、ベッドの方から声を掛けられた。
「ヒイロ」
まるで咎めるような響きのあるリリーナの声を聞いたヒイロは振り返った。
だが、リリーナはすぐに自嘲の笑みを口元に浮かべながら言った。
「ごめんなさい……」
「……」
ヒイロはリリーナの意図を計り兼ねて、ただ無言のまま立ち尽くしていた。
だから、リリーナは瞳を閉じてから言葉を続けた。
「あなたが側に居る事に馴れてしまうなんて……まだまだ、私は弱いわ」
「強いと言ったはずだ……」
「ええ。強くなります。だから……また」
と告げたリリーナは、瞳を開いてヒイロを見つめた。
だから、ヒイロもリリーナを見つめ返してから『別れ』を告げた。
「ああ……」
ヒイロが去ってから数か月後。
母も退院して、滞っていたスケジュールも一段落したリリーナは一人、散歩をしていた。
そこでリリーナは、会いたかったヒイロが木に寄り添っているのを見つけた。
ヒイロもそんな気配を察して、リリーナの視線に対して小さな笑みを向けた。
だから、リリーナは少女らしい明るい笑みを返した。
「これから、自宅でのお茶に付き合って頂けないかしら、ヒイロ?」
「かまわない」
と答えたヒイロは、リリーナの方へ歩み寄ろうと、歩き出した。
そんな二人を、影から見ていたカトルは、ベンチに座っていたデュオに笑みを向けた。
「良かったですね」
「そうだな。めでたし、めでたしってところか」
「ええ。今回の事は決して無駄じゃなかったようですね」
安らいだ表情で歩くヒイロとリリーナの姿を見たデュオも、カトルに笑顔を向けながら思った。
『自分の失敗もまんざらでもなかったかな』と。
「あいつももっと人間らしくなっていければいいよな、カトル」
「大丈夫だよ、デュオ。ヒイロにはリリーナさんがいるんだから」
そう言ったカトルは、また二人を見た。
なので、デュオは近くの自動販売機から缶ジュースを買ってきた。
そして、二人が視界から消えるまで見たカトルに、デュオは買ってきた缶ジュースを差し出した。
「カトル」
「有り難う、デュオ」
と言ったカトルは、微笑みながら缶ジュースを受け取った。
それから、それを掲げるデュオと同じ様に、カトルも掲げた。
「「乾杯」」