いつもの様にリリーナがコロニーの宇宙港に着いた時、会議の主要メンバーであるノルベ審議官が迎えにきた。
「ようこそ我がコロニーへ、歓迎致します」
「有り難うございます」
「さっそくですが、会談の準備が整っておりますので、こちらへ。お母様が入院なされていらっしゃるとか……大丈夫なのですか?」
と、心配そうに尋ねるノルベ審議官に対して、リリーナは安堵を与えるような微笑を添えて答えた。
「母は回復に向かっております。近々退院出来る様です。ご心配、有り難うございます」
「そうですか。それは宜しかった。あなたもお気を付けてください」
「ええ、そうですね」
いつも通りのリリーナと代表者の会話を、付き従うヒイロは怪訝そうな顔で聞いていた。
同じく側に居たクリスは、珍しく表情を見せるヒイロに尋ねた。
「どうかしたのですか?」
「……」
ヒイロは聞いていた会話に困惑していたので、何も答えられなかった。
この光景に対する驚きだけでは無く、今のヒイロには理解出来ない喪失感を感じていたから。
そんなヒイロの様子は、クリスに懐かしさと温かさを与えた。
「そうですね……」
今のクリスには、ヒイロの全ての困惑を知る事は出来なかった。
しかし、この光景に対する驚きだけなら理解する事が出来た。
かつてのクリスも、こんな光景を信じる事が出来なかったから……
「全てはリリーナ様と、ガンダムパイロットであったあなた達が希望を見せてくれたからですね」
「……希望?」
クリスの言葉を聴いたヒイロは、思った疑問を素直に問い掛けてしまった。
すると、クリスは柔らかな笑みを浮かべながら答えた。
「私達が行くべき未来を示してくれたのです」
「そして、これがその結果、か」
「そうですね」
と、答えるクリスに対して、ヒイロは疑惑に満ちた瞳を向けた。
だが、それが何に対してなのか、ヒイロ自身さえも気付けなかった。
いつもの様に忙しいドーリアン外務次官は夜中まで仕事に追われ、ヒイロもスケジュールの調整を手伝っていた。
その作業を行っていたヒイロは心が安らいでいる事に気が付いた。
「……」
今、ヒイロはハッキングや指令を受けていない。
ただ、スケジュールの調整をしている。
「これが普通か…」
パソコンの画面を見ながらヒイロは言った。
ふと、ヒイロは考えた。
このような現状にいる自分という存在を。
完璧な兵士として存在していた自分を。
『自分』にとっての普通を。
空白らしい記憶の中にいる自分はどうしていたのか……いや、自分という存在に意義があるのか。
兵士として、ガンダムパイロットとして、戦いしか知らない自分がこのような状況にいる事を。
戦場のみが自分の居場所だったはずなのに……
迷いを持たないはずのヒイロに幾つもの疑惑が浮かび上がった。
それはまるでゼロシステムの様に。
自分の存在意義に迷い始めたヒイロは、それらに対する解答、まして真実など見付けられなかった。
オーバーヒートしてしまいそうな思考によって、ヒイロの瞳に何かが浮かび出そうとしていた。
その時、部屋のドアがノックされた。
「リリーナです。返事が無ければ入ります」
そう告げたリリーナが入った時、様子がおかしいヒイロを見つけた。
パソコンを虚ろに見つめるヒイロに対して不安を懐いたリリーナは、慌てて大声で名を呼んだ。
「ヒイロ!」
その声によってヒイロはハッとした。
そして、自分の名を呼ぶリリーナの方へ振り向いた。
リリーナの瞳を見た時、ヒイロは今まで無限の様にあったものが全て消えていくのを感じた。
「ヒイロ?」
と、リリーナはヒイロに問い掛けた。
己の戸惑いから、ただ黙ったままリリーナを見つめていたヒイロは、短い言葉で答えた。
「別に、何でもない」
いつもと変わらないと思える、ヒイロの答えを聞いたリリーナは、安堵のため息をついた。
「ヒイロ、明日の会議に必要な資料を官庁に忘れてきたのですが、取りに行けるかしら」
「……ああ」
「そうですか、有り難う。ヒイロ…もう休んではどうかしら。根を詰める必要はないもの」
「…お前の方が取るべきだ。こんなスケジュールではいつ倒れてもおかしくはない。お前の代わりはいなのだろう」
と、言われたリリーナは、喜びから顔をほころばせた。
ヒイロが自分を為政者としてだけでも認めてくれた、といえる言葉を向けられた事に対して。
「そうね、気を付けるわ」
そう答えられたヒイロも、なぜかリリーナの笑顔を見て、心が安らぐ様な心地を覚えた。
久し振りにリリーナが自宅で短い休日を過ごしていた時、デュオとカトルが訪ねてきた。
事前の連絡をもらっていたリリーナは、二人を私室に招き入れた。
「お忙しい中、済みませんリリーナさん」
「それはお互い様でしょう。でも、訪ねて来て下さって有り難う、カトル君、デュオ君」
「身に余る光栄だね、お嬢さん」
と言ってから、デュオはリリーナの部屋にあったソファに腰を下ろした。
カトルもデュオの隣に腰を下ろし、リリーナは向かい合ったソファに座った。
「単刀直入ですが、ヒイロの様子はどうでしょう」
「私の事はドーリアン外務次官として認めてくれる様です。でもまだ、『兵士』として生き様としています……」
「ま、仕方がないぜ。あのヒイロがそう簡単に変るワケがないしな。でもヒイロが暴走しないのはお嬢さんのおかげかもな」
「そうですね……テロなんか簡単に起こしそうですよね、ヒイロなら」
と言ったカトルがクスクスと笑うから、デュオも同意する様に言った。
「そうなったらオレ達でも防ぎきれないぜ、ヒイロの暴走なんて」
「でもその前に自爆してしまうかもしれないね」
「「俺の存在意義など無い」」
と、デュオとカトルが同時に声を揃えて言った。
一瞬の間を置いてから、デュオとカトルは同時に笑い出した。
大笑いをする二人の言葉を黙って聞いていたリリーナは、つい笑みをこぼしてしまった。
そんな中、扉を開いて話題の中心人物が現れた。
「一体、何を笑っている」
「別にたいした事じゃないさ」
ヒイロの顔を見ながら、デュオは笑いを堪えつつ言った。
カトルはできるだけ控え目に笑いながら言った。
「そうですよ、ヒイロ。それよりもどうですか、体の調子は」
「べつに何もない。リリーナ、明日の会談についてだが……」
と言い出したヒイロは、デュオに止められた。
「病人は大人しくしてろよ。焦ったっていいことないんだぜ」
「そうだよ。休む事も大切な仕事だよ」
「その件は移動中にしましょう。今日は一緒に紅茶でも飲みませんか?」
そう言う三人の言葉を、ヒイロは一蹴した。
「オレには必要無い」
そう言ったヒイロが、立ち去ろうとしたので、カトルは穏やかな微笑をその背中に向けた。
「そうだね。君にとってはリリーナさんの側に居る事が安らぎなんだよね」
「あなたは強い人だわ。でも、私はあなたの力に成りたいの」
「必要無いと言っている」
「いつもあなたは私を守ってくれた。だから、今度は私があなたを……」
そう言うリリーナの瞳の中に、自分以外の誰かを見たヒイロは、感じた不機嫌な感情のままに叫んだ。
「オレは『ヒイロ・ユイ』じゃない」
ヒイロがリリーナの私室から出て、与えられた部屋に戻った時、扉の前にデュオが立っていた。
「おい、ヒイロ」
と、声を掛けられたヒイロは、先程から感じていた感情を隠しもせずにデュオを睨み付けた。
それを見たデュオは大笑いをした。
「おまえって本当に面白い奴だぜ、自分に嫉妬するなんてよ」
と言われたヒイロは、無意識に驚いてしまった。
だが、そんな態度を見せるヒイロに対して、デュオは大きな声で笑った。
けれども、すぐに真面目な表情でヒイロに告げた。
「リリーナお嬢さんが気になるんだろ。だったら、自分に妬く前に記憶を取り戻せよ。今のお前には、あのお嬢さんは守れないぜ? それが出来るのは記憶があったお前くらいなんだよ」
「……」
「そしてその『ヒイロ・ユイ』にはお前しかなれない。なんでも否定すれば良いってモノじゃないんだぜ、ヒイロ」
と言い終わったデュオは、ヒイロの前から去った。
そして、残されたヒイロは一人呟いた。
「感情で行動する事が正しい人間の生き方……か」