ある意味で脅迫とも取れるシオンの手紙を受け取ったキールは王宮に出向いた。
珍しく執務室にいたシオンはそんなキールを笑顔で迎えた。
その笑みに含まれる多くの意味からキールは無愛想な態度を更に硬化させた。
「で、シオン様への報告とダリスの王様を滞在させた上に、後片付けまでしろ、と?」
「おお、さすがは最年少の緋の肩掛けを持つキール様だな。その調子で治療も頼むわ」
「お断りします」
短くも返す言葉を拒否する強い口調でキールは即断した。
しかし、それを聞いたシオンは口元に笑みを浮かべた。
「そっけない返事だけでなく、反論までしたなら……あと少し、だな」
「何か言われましたか?」
「いーや、なんでもない。ただ、今回の問題人物の治療が出来るのはお前くらいなんだぜ?」
シオンの珍しい素直な誉め言葉を聞いたキールは、心を動かされる自分を強く叱咤した。
「それは褒め言葉、ですか?」
「もちろん。俺でもあの病は治せるかは五分五分だからな」
ここまで真剣に自分の力を誉められたキールは言葉を失った。
そして、そこまで褒めちぎったはずのシオンは、言葉とは裏腹な笑みを浮かべた。
「お、今度は無言に変わったな♪」
「何か?」
「いーや、気にしないでくれ。独り言だ、独り言」
「俺にはぼやきを聞く暇はありませんから、帰らせて頂きます」
帰る口実を出来たと思ったのか、キールは即座に部屋から出ようとした。
それをシオンは止めるのではなく確認をした。
「じゃあ、治療はしてくれるんだな?」
「そんな事は言っていませんが?」
「頼むぜ、キール。我が国の王とお前の愛妻が応援しているダリスの王様を助けるには、お前以上の適任者はいなんだ」
そう言われたキールは己の無能さを呪った。
シオンの心地よい言葉の裏にある意図に気付かなかった事。
そして、キールを王宮に向かわせたシオンの手段を思い出して。
「……わかりました。命令には従います」
キールの短い降参と承諾の言葉を聞いたシオンは、彼らしい笑みを返した。
「助かるぜ、キ-ル。いい奥さんを嫁にしたな」
「……確かに、シルフィスのお人好しには染められていますね。今回みたいに」
「イイコトだぜ。人は一人では生きていけないんだからさ」
「……ですが、こう面倒な事を押し付けられる人生は御免ですね」
あくまでもシオンの言葉は肯定したくない意志をキールは言葉で返した。
「ははははは、シルフィスみたいにそれを面倒だと思わなくなるのも時間の問題かもな」
「……それではラボで連絡をお待ちします」
「ああ、いい知らせを期待してくれ」
「……失礼します」
キールがそう言って退室した後、部屋の主は急に真面目な表情となった。
「……あいつも扱いやすくなったのか、悪くなったのか、わからないな。まあ、シルフィスもああ見えて頑固者だし。似た者夫婦ってところか?」
お茶会の数日後、ディアーナは思いがけない再会をクラインの王宮外で果たした。
その出会いに同行した護衛役のメイとイーリスは黙ってディアーナの言葉を待っていた。
「申し訳ございません!」
そう言うのは、ディアーナにアルムの子供の母親を名乗る妙齢の美女だった。
「息子の病気と死期は本当なのです! 同じ病で夫を失い、息子も、と絶望していた時に、あの貴族から治療を請け負うといわれて……本当に申し訳ありませんでした!!」
妙齢の母親の言葉には、以前よりも真実味があった。
いや、以前よりも真剣さが違った。
息子の為でも、偽りを口に出来ない真っ直ぐさがあったのだと、ディアーナは納得した。
ディアーナが真実を知っても驚かない事を確信していたメイは静かに問い掛けた。
「……ディアーナも嘘だって気付いてたんでしょ?」
「……シオンが息子さんの完治でも条件に出したんですの?」
と、ディアーナはメイの問いに答えず、事実を確認した。
なので、メイではなくイーリスが事実だけを答えた。
「ええ。ご子息の完治を請け負う事を条件に、このご婦人には真実を語って頂きました」
「……では、完治するのですね?」
「シオンが出来ない条件を約束する事はないでしょう」
「そう……」
そう言ったディアーナは妙齢の母親に息子の看病へ戻るように言った。
「シオンが約束したなら、息子さんは助かりますわ。安心して側にいてあげて下さいな」
「有り難うございます、有り難うございます」
いつまでも感謝を繰り返そうな妙齢の母親の言葉を遮るようにイーリスが言った。
「では、息子さんが休まれている部屋に戻って頂けますか?」
「はい。本当に有り難うございます」
と、妙齢の母親は感謝の言葉を口にして退室した。
なので、護衛役かつ監視役でもあるメイは、ディアーナに再び問い掛けた。
「で、ディアーナはどうしたいの?」
「……メイ、お兄様の今日の予定は知っています?」
「うーん。今すぐ陛下と会うのは難しいかも」
ディアーナの言葉を予測していたような言葉にしては芳しくない答えだった。
メイの不明瞭さに疑問を抱いたディアーナは再び尋ねた。
「国賓でも来ていますの?」
「そうだよ。ディアーナにとっても大切な人が、ね」
「もしかして……」
「はい。今はダリス王と会談されています」
と、口を閉ざしていたイーリスが言ったので、二重の意味でディアーナは驚いた。
「お兄様とアルムが?!」
「そう。だからディアーナは王宮で陛下の帰りを待ってて」
「わかりましたわ。では、王宮までの帰りも護衛をお願いしますわ」
そうディアーナの言葉に対して、メイとイーリスは無言で礼を返した。
ディアーナを王宮に帰したメイはシオンへの報告に向かった。
そして、イーリスはメイが立ち去った後もディアーナと共にいた。
それは監視役としてではなく、イーリス自身が確かめたい事があったからだった。
「姫、一つだけ確認させて下さい」
「なんですの?」
「ダリスの王妃がクラインに里帰りした理由です」
そう問われたディアーナは返す言葉を失った。
その意図を知ろうと敢えてイーリスは問い続けた。
「あの事件の結末は姫にとっては悲劇だったのですか?」
そこまで問われたディアーナは淡々と言葉だけを返した。
「……わたくしがお兄様をクライン王家へと縛りつけた、とは思っていませんわ」
「……」
「お兄様自身が決められたことですわ。でも、わたくしはアルムと再会して結ばれた……」
その言葉に込められた真っ直ぐな愛情がイーリスは眩しくて目を細めた。
しかし、すぐにいつもの表情に戻ると、ディアーナに優しく問い掛けた。
「姫、幸せに定義があるとお考えですか?」
「どういう意味ですの」
「幸せは一つではない、という事です」
そう答えられたディアーナは、イーリスの言葉の意味がわからずに首をかしげた。
ディアーナの変わらぬらしさに好意を持っていたイーリスは笑みを添えて応えた。
「恋しい人と運命的な再会で結ばれる、これは大きな幸せでしょう。噂を聞いただけの私でもそう思うくらいですから」
「……」
「ですが、それだけではない幸せもあるのですよ」
そこまで言われたディアーナは確認する様にイーリスに問い返した。
「お兄様は……幸せだと言いたいのですの?」
「それは姫ご自身で確かめてください」
にっこりと、でもそれ以上の追及をさせないいつもの笑みでイーリスは応えた。
なので、ディアーナは懐かしさからも笑みを添えて言葉を返した。
「……わかりましたわ。有り難う、イーリス」
「いいえ。お仕事ですから」
「でも、お金だけではないでしょう?」
昔から変わらぬ鋭い言葉を返したディアーナに対して、イーリスも懐かしさを感じた。
そう、世間知らずの温室育ちだと勘違いしていた過去を思い出しながら。
「そうですね。姫はお得意様でしたから」
「では、そういうコトにしておきますわ」
そう言って、ディアーナが微笑んだ。
だから、イーリスも何の含みも無く微笑んだ。
ディアーナが穏やかに微笑んでいた頃、セイルは王宮では無い場所に居た。
彼自身としては感じた事の無い緊迫感溢れる場所で。
いや、場所の所為ではない。
お忍びで訪ねる事もあるキールのラボの所為ではなく、滞在者との再会の所為で。
「はじめまして、でしょうか? クライン王」
「いえ、ディアーナの結婚式以来ですね、ダリス王。しかし、『セイリオス』としては初めてでしょうか」
と、二人の男は互いの腹を探るように言葉を口にしていた。
「そうですね『セイリオス』殿」
「では『アルムレディン』殿。時間は有効活用をしましょうか?」
「それは僕も同じですね」
これからはじまるであろう緊迫感溢れる対話はこうして幕を開けた……